若井亜妃子(53期pf)

留学記

ドイツでの5年間にわたる研鑽を終えた今、海外での様々な経験を通して、音楽だけではなく、文化を直接感じ、日本人としてのアイデンティーを意識することができた貴重な留学生活だったと感じる。

ハンブルク音楽演劇大学大学院修士課程修了後、ハノーファー音楽演劇メディア大学にてドイツ国家演奏家資格取得過程に3年間在籍したが、それぞれ異なった2つの環境で過ごすことによって、より多くの事柄を学べたと思う。ハンブルクでは大学院修了のため、講義を受け単位を取得する必要があった。特に、ドイツに来たばかりの1年目は来る日も来る日もドイツ語と悪戦苦闘していたが、それ以上に苦労したことは、日本人が私1人という状況の中で、外国人と一緒に受けなければいけない講義だった。日本では、生徒同士が議論し、プレゼンテーションを行う機会はあまりなかったのだが、それがほぼ毎回行われた。そのため、毎講義、最低限何かしらの発言をしなければならなかったのだが、経験が少なく、語学力に不安があるために、初めは勇気を振り絞っても周りの生徒の半分以下の量しか発言することができなかった。毎講義、いつも憂鬱な気持ちで臨んでいたが、半年経ち、少し余裕が生まれ始め、周りの発言を冷静に聞けるようになってからは、あることに気付くことが出来た。それは、発言することは、自分の意見を言うことであって、必ずしも正しい答えを求められていないということだ。正解やより多くの知識を得るために講義を受けているのだから、間違うことは問題ではなく、他の生徒と違う意見を持っていて当たり前であり、意見を言わないことは、自分自身の考えが何もないというように受け取られてしまう。そのことに、やっと気付くことができた。

それは音楽においても、同じことが言えると思う。自分が音楽をどのように奏でたいのか、または音楽を通して何を表現したいのか。はっきりとした考えを持っていたら、先生と同じ意見にならなくとも、その理由を自分で探していくうちに、先生の発言の真意を理解し、より良い音楽に対してのアプローチの仕方を発見できる。そのように感じ、以前より音楽に対してより強く探究心を持てるようになったと思う。

ハノーファーでは、ハンブルクとは違い、一切講義がなかったため、ヨーロッパ各地の国際コンクールに挑戦した。もちろん、コンクールを通して、演奏技術を研磨することができたが、それ以上に海外の参加者と交流できたことが、私にとって大切な経験となった。コンクール期間中、海水浴などをしてオンとオフの切り替えを上手に行なっているのを見習ったり、夜は郷土料理を囲みながら遅くまで語る機会がたくさんあった。そのときに、よく話題にのぼるのが、自国についてなのだが、話すことによって、日本の良いところ、そして自分がまだまだ知らない点を改めて認識することができ、また同時に、海外では自分の振る舞いが、外国人の日本人に対する印象に影響する場合があることを実感した。日本を離れて、より一層日本人であることを意識するようになったと思う。

幸い、日本に完全帰国する年にイタリアのターラントで開催された第 51 回国際 ピ ア ノ コ ン ク ー ル Concorso Pianistico Internazionale“Arcangero Speranza”というコンクールで2位を受賞することができたのだが、私にとっては、3ラウンドある中で2次にベートーベンのピアノソナタ《ハンマークラヴィーア》を演奏できたことが、賞以上に嬉しく感じた。留学前は理解できないだろうと諦めていたベートーベンの大曲を私なりに理解し、表現したことが聴いている人に伝わったと感じた瞬間、言葉には表すことが難しいが、とにかく留学してよかったと心から思うことができた。大げさかもしれないが、留学して色々な経験があってこその自分の音楽の存在意義を感じることができた瞬間だった。ベートーベンのピアノソナタ《ハンマークラヴィーア》は、ハノーファーの卒業試験や海外の音楽祭でも演奏したが、毎回演奏する度にたくさんの発見がある。一生かかっても本当の意味で理解することは難しいと思うが、人生の経験に比例して曲との距離も近くなると信じ、海外で得た経験を生かして、これから社会に貢献できるよう、日本で活動していきたいと思う。

若井亜妃子(53期 ピアノ専攻)

ハノーファー音楽演劇メディア大学在学中に師事したマルクス・グロー教授 (Prof.Markus Groh) と国際ピアノアカデミー Lüneburger Heide で。

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