金森重裕(6期cl) no.2

ウイルス禍と文化芸術と政治

新型コロナウイルスが世界中に猛威を振るっている。家にいることを是として、考える時間が増えた。新聞を読み、テレビの前にいることも多い。でも適度の散歩もしなければと、近くの淀川堤に出かける。東の方に生駒の峰がくっきりと見える。ここへ引っ越してきて21年、いつもの散歩コースながら、こんなに鮮やかに見えたのは初めてだ。なんと清々しいことか。夜にテレビで、ニューヨークでもパリでもロンドンでも空が青いと報じていた。地球がこんなに美しく、こんな世界に生きているのだと、大げさでなく感動した。本来あるべき姿なのだ。

極論になるが、経済の発展や利便を求めて血眼になるがゆえに自然を破壊し、空気を汚し、住む環境を損ねてきた。プラスチックごみはその典型か。果ては人心をも乱して、争いの絶えない中に日々の生活を漫然と送っているのではないかと考えてしまう。ウイルスとの闘いはまだまだ続くのだろうが、知恵を絞って、収束[注①]に向かう手立てを講じなければならない。ここは医療従事者・研究者に頑張ってくださいと言うしかない。それにしても、人手が足りない、マスクが不足、防護服が不足、人工呼吸器が足りない、ベッドが足りない、それも毎日言われていても改善されたとは聞かない。院内感染で従事する人たちが不足などなど、不安ばかりが伝わってくる。「そこが一番でしょう」と政府に言いたい。

1月終わりごろに中国・武漢で発生が明らかになったこのウイルスは、2月中頃に京橋のライブハウスで集団感染者が出たと報じられて、にわかに現実味を帯びてきた。日を追ってあちこちのライブハウスで感染者が続出、こんなにも「音楽はライブだ」という人たちが多いのかと驚き、またうれしいことだと思ったが、政府は、まもなくして劇場をはじめ人の集まるところの出入りを止め、身近なところでは、オーケストラや各種コンサートは中止に追いやられた。結果、私たちの仲間も大勢が生活に困窮、路頭に迷う日々となっている。

次いで学校も休校となって、子どもたちが在宅することでその親たちの職問題が、急遽、国会で取り上げられ、雇用・非雇用に違わず生活の保障が決められた中で、演劇人や音楽家などフリーの人たちはどうなるのかと提起された。「フリーランス」[注②]という言葉が国会の場に登場したのである。まだその具体的な生活補償はこれからの部分が多いが、ともかく、フリーランスの認知と文化・芸術が世の中を支えている大切な分野だということが少しは理解された感がある。でも、30万円の対象だと思っていた人が、一律10万円に埋もれてしまっている。仕事がない、音楽教室も閉鎖、となって収入が途絶えている仲間たちのためにも、今後を注視していかなければならない。

「文化芸術」が、人が生きていくためには必要不可欠だと言い、「生命(いのち)と暮らしが大事」と政府は言うけれど、常にそこが基本かというと、見ていると経済中心で、必ずしもそうではない。医療や文化芸術にかかるお金は、それ自体はお金を生まない。対費用効果という経済概念からいうと出るばかりだからだ。本当のところはわかっていないのだと悲しくなる。どうも政治に係る人たちは、本来、尊敬されるはずなのだが、どうも次元が低いなあと思わざるを得ない。政治ってそんなもんだよとあきらめ感で言う人がいるが、それでは困るのだ。だってわれわれの税金の使い道を決めているのだから…。

イベント自粛要請が出て、事業者はもちろんのこと多くの表現者の場が失われ、収入が途絶えたにもかかわらず、企業や雇用者の補てんが先んじて、そこのところが置き去りを食った感がある。文化関係団体がこぞって行動を起こし申し入れをしたことと、国会論議でも具体的に「どうするのだ」と迫られて、フリーランスという言葉と実態が明らかにされ、政府も認識を改めざるを得なくなったのである。

国会の場でも報道でも外国の例が示されたことで、日本のそれとの違いが浮き彫りになった。ドイツのモニカ・グリュッテルス文化相(日本には文化相はない)は、「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」「皆さんを見殺しにはしない」とメッセージを発し、文化分野での緊急支援措置を発表、イギリスは具体的にフリーランスに最大で賃金や平均収入の8割、月2500ポンド(約34万円)を当面3カ月支給すると発表、カナダ、フランス、アメリカ、オーストラリア、韓国などが相次いで3月下旬から4月初めにかけてアーティスト保護に乗り出しているのである。

さて、そう長くはないことを願いながら、終息後を私たちは考えなければならない。人が生きるためには文化芸術は欠かせないということを身をもって示し、音楽を通じて、涙するほどの感動を再び甦らせなければならない。わたしたちは社会の一員として、人の生命(いのち)を預かっているんだということを肝に銘じて、一層の精進が求められていると思う。まずは、一日も早い終息を願って…。

[注①] 最初は、これは3月末には終わるだろうと、「終息」という言葉が使われていた。一向に収まる気配がないところから、なんとか下火にという願いに代わって、4月ごろから新聞も「収束」という用語に変化した。無病息災という言葉通り、「息」には「とどめる」という意味があり、「終息」は完全に終わるということ。「収束」は、「収まる」と「束ねる」から「混乱などが一定の状態に落ち着く」という意味がある。非常事態宣言が解かれたとしても、決して終わりではないという今の状況が、用語、用字からもわかる。「補塡(ほてん)」を、途中から「補償」に言い換えたのも意味があって興味深い。

[注②] フリーランス(freelance) lanceというのは「槍」ということで、中世ヨーロッパでは槍の達人がその技術だけを請われて宮廷につかえ、高い地位を得たのがそもそもの発祥。ニートやフリーターとは違う。現に今の時代、カメラマンとかデザイナーとかイラストレーターとか、アニメーターとか、その人がいなければ成り立たないという状況はいっぱい作られている。舞台を支える音響、照明、舞台スタッフなど、そんな専門の方々のおかげで舞台は作られている。そんな中で、音楽家もフリーランスとして誇りをもって仕事をし、社会的地位を得たいと思う。

2020.4.30                                                          金森重裕(6期cl)